「変われないもの」と「変わりゆくもの」
人って変わることは難しい。
だらだらと無駄な時間を過ごす日々に嫌気がさし、変わりたいと思う時が何度もある。
だが、『変われない』のだ。
本当は変わりたくないのかもしれない。
「あっという間だったなぁ、、、、」
そんなことを死ぬときも思うのだろうか
なんのために生まれなんのために生きているのかわからない時が来る。
生きる意味なんてないのかもしれない
強いていうなら自分は今幸せになるために生きている、楽しいことのために。
僕が思う幸せの定義は大好きな人たちと楽しい時を過ごすことだ。
人は一人で生きていくことができない以上、人間関係が軸になるのはあたりまえだ
これに気づくと同時にあることを悟ってしまった。それは『変わりゆくもの』である。
「いつまでこの関係が続くのだろう」
誰しも仲がいい友達の一人や二人はいるだろう。
しかし、人間関係は諸行無常、いずれ変わっていくものである。
悲しいことだ、この事実に直面した時に『永遠』なんて言葉が嫌いになる。
僕にはとても仲がいい異性の友達がいた。高校は違ったが中学の時塾で出会い、気づいたら高校の時には電車で一緒に通学していた。僕がその子よりも前の駅で乗車して席を確保する。そして、その子が乗って来る。二人が話せる時間はだいたい15分くらいだ。
何を話したかは覚えていない、どうでもいいことを話していたんだろう。
あまり話さない日もあったと思う。だけど、無言が苦しくない、何か喋らなきゃということを思わずにすむ数少ない気が置けない友達だった。なんでも話したし何でも話してくれた。LINEも毎日していた。しかも一日2,3通ペースではなく結構なペースだ。
卒業してからも僕たちは普通に仲がよかった。塾のメンバーで長期休暇や年末など定期的に集まっていたりしていたのだ。
だが、もう会うことはないのかもしれない……
勘がいい人はわかったかもしれない。
、、、、、そうだ、僕はその子を好きになったのだ。そして、自分の気持ちを抑えきれず告白してしまった。
答えはNOだった。その子は僕を友達としか見ていなかったみたいだ。
もちろん僕もそうだった、しかし毎日電車であって話していくうちに気づいたら好きになっていたのだ。自分でもわかっている。「この子は友達だ、、、好きになっちゃいけない、、、、」でも、気づいた時には遅かった。取り返しのつかないレベルの恋をしてしまったのだ。
僕の中で異性間の友情の定義がある。
どちらもお互いに下心を持っていない
まぁ当たり前のことである。どちらかが好きになったらそこで友情は終わりだ。
僕は告白することで友情が終わることに気づくことができなかった。恋は盲目であるというように、大好きって気持ちで精一杯、後先のことなんて考えれなかったのだ。もし明日好きな人が死んだら、もし事故にあったら、、、、僕は絶対に後悔するだろう。だから、今の大好きって気持ちを伝えるんだ。後悔しないために。。。
この一心で告白した。そして、友情が終わり、前みたいに気が置ける関係ではなくトランプ大統領が国境に壁を作るように、僕とその子の間に大きな壁が建設された。
後悔しないためにした告白で僕は今、後悔している。
「やらなくて後悔より、やって後悔」
こんな言葉があるが、果たしてどっちが正解だったんだろう。
あるいは正解なんてないのかもしれない。だが
「過去は変えられないが未来は変えられる。」
僕はこの言葉を信じ、告白したことを肯定するために今を生きてゆく。
こんなかっこいいことを言ってはいるが実はまだその子のことを振り切れていないし、忘れた方がいいのか、忘れなくてもいいのかもまだ分からない。
5年間の仲だし、何回も遊んだし色んな話もした。ここには書いていないが二人の思い出は数えきれないほどある。
しかし、その子は僕のことを忘れたいのだろう、彼女のinstagramの投稿から僕が綺麗に消えていた。完全に嫌われている。
もう前みたいに戻れないのかなと思うと悲しくて泣けてくる。
だけど、いつになるかは分からないし訪れないかもしれない
あの時のように笑いあえる日が来ることを願って生きてゆく。
そう思う一方で
完全にその子を振り切れた時、その子に変わる大きな存在が現れるのかもしれないという幻想を抱いている。
まぁ考えても分からない、、、
分からないまま僕は生きていく。